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柳田悠岐、謙虚につかんだ金メダル 華々しさとは無縁だった学生時代「拾ってもらってうれしかった」

暮らし

2021/08/07 21:00

 東京五輪の野球は7日に決勝が行われ、日本が米国を破り金メダルを獲得した。五輪野球の金メダルは公開競技だった1984年ロサンゼルス大会以来で、1992年バルセロナ大会で正式競技となって以降は初めて。オールプロで臨むようになった2004年アテネ、08年北京両大会でも届かなかった頂に稲葉篤紀監督率いる「侍ジャパン」がたどり着いた。

 今回の代表メンバー24人中、最年長(学年)は1988年度生まれの田中将大(楽天)、大野雄大(中日)、坂本勇人(巨人)、そして柳田悠岐(ソフトバンク)だ。いずれも球界を代表する選手に成長し日の丸を背負うまでになったが、高校からプロ入りし早い段階でスターへの道を歩み始めた田中や坂本と比べ、大学出の柳田は芽が出るのが遅かった。

 広島経大からドラフト2位でソフトバンク入団。即戦力と期待されたが、1年目の2011年は6試合の出場で5打数0安打、3三振だった。スタメンも1試合あったが捕ゴロ、空振り三振、見逃し三振。2年目は1軍定着を目指し春季キャンプから張り切っていたが、その後に試練が訪れた。

 「2年目の(2月の)キャンプが終わって、そっからすぐ『2軍行ってこい』って言われて。オープン戦とかでは若い選手とかが(1軍に)呼ばれたりするのに、1回も呼ばれなかった。楽勝でクビになると思った」

 広島商高時代に甲子園出場経験はなく、大学でも全国選手権出場はあっても日本代表などに選ばれたことはない。プロのスカウトからは注目される存在であり、ソフトバンクがドラフト会議当日に王貞治球団会長の「(打球を)一番飛ばすのは誰なんだ」との質問で秋山翔吾(西武ー米レッズ)から柳田の指名に切り替えた逸話は有名だ。それでも、プロの世界はそんなに甘くない。2年目で「クビ」を覚悟するほど、ソフトバンクの競争は激しかった。

 そこから柳田は王会長をはじめ、チームの首脳陣にフルスイングを大きく矯正されることなく成長していった。12年にプロ初安打、初アーチ、13年に初めて4番を経験し、14年全試合出場、15年に史上初の「首位打者・トリプルスリー」。19年の大けがによる長期離脱で海外FA(フリーエージェント)権の取得が遅れると、メジャー挑戦を諦めホークスと7年の長期契約。「流れとか運命とか信じるタイプなんで。これも僕の人生なのかな」と言い切り、翌20年はコロナ禍で調整が難しい中でも安定した成績を残し15年に続く2度目のシーズンMVPに輝いた。

 柳田は自らの運命をこう振り返る。

 「ホークスにドラフトで拾ってもらって、バリ(広島弁で「とても」の意味)うれしかった。プロでやるのが夢だったんで」

 プロ入り後も故障の影響などで国際大会は一度も出場したことがなかった柳田にとって、五輪は野球人生で初めて経験した国際大会。驚きの連続でファンを魅了する豪快なプレースタイルとは対照的に、謙虚な思いで道を切り開いてきた男が「一生に1度」と位置付けた舞台で堂々たる輝きを放った。

(TNC特別番組「侍たちの夏~柳田悠岐 千賀滉大~」より)

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