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中村哲医師の死から3年 受け継がれる意志 アフガン復興は新たな局面に 【福岡発】

暮らし

2022/12/05 19:30

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◆VTRの音声
「これは元々村にあった取水口が取水できなくなったために工事をしている所です。重機を操っているのは、ドクター中村です」

福岡市出身の医師・中村哲(享年73)。

彼は、干ばつに見舞われたアフガニスタンの地で、医師でありながら白衣ではなく作業着を身にまとい、人道支援活動に尽力しました。

◆中村哲 医師
「うまい具合に耕作可能な土地が盆地状になっている」
Q.これが全部緑化されるんですか?
◆中村哲 医師
「緑化されます」

『百の診療所より一本の用水路を』

この言葉を心に刻み、15年以上もの間、用水路建設に従事し続けた中村医師。

築き上げた9つの用水路の周辺は約1万6000ヘクタールが緑化され、アフガンで暮らす65万人もの自給自足を支えています。

そんな中村医師が『凶弾』に倒れ、この世を去ったのは、2019年12月4日。

その日も用水路の建設現場へと向かう途中のことでした。

<中村哲医師の言葉>
『私達の小さな試みが平和への捨て石となり、大きな希望に繋がることを祈る』

【追悼の会(11月26日)】
「黙とう」

中村医師の死から3年。

今も「希望の灯り」はともり続けています。

◆ペシャワール会 村上優 会長
「緑が着実に回復し、人々が家族と暮らす平和を維持している事実は、“希望の灯り”です。これからは先生が夢見たアフガニスタンの人々の自立に向け、次の歩みに取り組みます」

中村医師の遺志を受け継ぎ、日本からアフガン支援を続けている福岡市のNGO「ペシャワール会」。

死去から3年。

現地の復興事業は今、「大きな節目」を迎えていました。

◆ペシャワール会 藤田千代子さん
「中村先生無しで作った初めての水利施設ですので、随分心配しながら。工事が遅れてですね、水が流れる中、凄く危険な状態で作業を進めていたんですね」

初めて現地スタッフの技術者のみで挑んだ10本目の用水路建設。

着工から2年の歳月を費やし、今年9月、ようやく完成したのです。

◆VTRの音声
「(現地語で)おめでとー!できあがりましたー!」

重機のアームを回す現地スタッフ。

これは、中村医師流の喜び方だと言います。

◆ペシャワール会 藤田千代子さん
「水路のことで何かができあがって嬉しい時は、中村先生が(重機のアームを)回してて。動画を見たときは泣き笑いしましたね、本当に」

用水路建設だけにとどまりません。

農業の分野でも、中村医師が亡くなって以降初となる嬉しい出来事がー。

◆ペシャワール会 藤田千代子さん
「中村先生が待ちに待っていたナツメの収穫が今年はできました。(アフガニスタンで)ナツメはみんな神聖な食べ物として好んで食べますので(中村先生は)みんなが好きだからということで楽しみにしてたんですけど…」

こうしてたわわに実った果実がー

緑豊かな大地がー

平和の尊さを、静かに訴えかけます。

しかし、用水路の灌漑地帯を一歩踏み越えると、荒れ果てた荒野が広がっているのが現実です。

依然として、1000万人以上の国民が餓死の危機にさらされ、現タリバン政権に反発する欧米諸国からの経済制裁やウクライナ戦争のあおりを受け、過去に例を見ない物価高にも見舞われています。

混沌とした状況の中でどう行動すべきなのかー

中村医師は次のような言葉を遺していました。

<中村哲医師の言葉>
『水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、よそに逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います』

◆ペシャワール会 藤田千代子さん
「中村先生の口癖はいつも、『何事もなかったかのように、日々のことを進めるように』ということだったので、それしかないなと」

◆ペシャワール会 村上優 会長
「『灯し続けないといけない』というのは、中村医師からの指示ですから。次の地域として2つ予定地が選定されていて、(用水路を)実際に作って行く作業を来年から始めたいと思っています」

すでに新たな用水路建設に乗り出している「ペシャワール会」。

中村医師の志の下、現地アフガンで復興への歩みが止まることは、これからもありません。

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