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【戦後80年】「原爆の子の像」佐々木禎子さん“70年前の折り鶴” オバマ元大統領に託す 病室で折り続け…福岡に住む兄が発見

暮らし

6時間前

70年前に作られ、去年、福岡県内で見つかった「折り鶴」。

12歳で亡くなった少女の願いが込められた折り鶴は、海を超えてアメリカの元大統領のもとに届けられました。
◆アメリカ・オバマ元大統領
「折り鶴を通じて平和のために一緒にできることがあれば言ってください」

こう申し出たのはアメリカのオバマ元大統領。

2月末、一緒に写真に収まる佐々木祐滋さんから1羽の折り鶴を受け取りました。

その折り鶴というのが…。
◆佐々木雅弘さん
「『やった』と思ったね。一番欲しかった折り鶴なんですよ」

福岡県那珂川市で暮らす佐々木さんの父、雅弘さん(83)。

去年12月、自宅の整理をしていた時に父親の遺品の中から折り鶴を見つけました。

◆佐々木雅弘さん
「禎子の本物の、私が一番欲しかった折り鶴が見つかったわけですよ。折り始めてすぐの折り鶴ですよ」
罫線が入っていてノートを使ったとみられる鶴を折ったのは、雅弘さんの2歳下の妹、佐々木禎子さん。

1955年、12歳で亡くなりました。

1945年8月6日午前8時15分、広島に投下された原子爆弾で禎子さんと兄の雅弘さんは、爆心地から1.6キロ離れた自宅で被爆。

家は全壊したものの、2人とも大きなけがはなかったといいます。

◆佐々木雅弘さん
「8時ごろだから家庭は食事時だから火を使ってるんですよ、それと熱線によって家がみんな燃えだした。外は火の海ですよ。逃げて川の土手までついたら、もう川はね、死体でいっぱいですよ。鮮明に覚えているのは地獄絵みたいな状況」
被爆した際にわずか2歳だった禎子さんはその後、小学校に入学。

「学校一足が速い」と言われるほど活発な女の子でしたが、卒業を間近に控えたころ「白血病」と診断され入院しました。

『千羽 鶴を折れば願いがかなう』

禎子さんは「生きたい」と願い、病室で鶴を折り続けました。

◆佐々木雅弘さん
「自分のつらさ、父母に対する心配をかけたくないという思い、それから痛さを一生懸命鶴に折り込んだわけですよ」

亡くなる直前まで鶴を折り続けた禎子さん。

広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」は、禎子さんの友人たちが原爆で亡くなったすべての子供たちの慰霊碑を建てようと呼びかけ、禎子さんをモデルに作られました。
現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪問したオバマ元大統領。

核なき世界へ向けた国際社会への働きかけが評価され、ノーベル平和賞を受賞していたオバマ氏は、以前から禎子さんの折り鶴に興味を持ち、自ら折ったという折り鶴を子供たちに手渡しました。

この2016年の来日を機に、雅弘さんたちは「いつかお返しに折り鶴を渡したい」とオバマ氏側と数年間に渡りやり取りを重ねてきました。

そして去年11月、ついに念願の面会が決まり、その直後に禎子さんの折り鶴が見つかったのです。

こうして、2月末の面会で手渡すことが出来ました。

◆佐々木雅弘さん
「(折り鶴が)出てきたのも奇跡だし、オバマさんにこの(戦後80年という)時期に贈られたというお会いしたいということで返事がきて、今回このような時期に出てきたというのが不思議ですよね。だから私は禎子がこれ仕組んでくれたなと思って」

原爆の投下から80年。

そして禎子さんが亡くなって70年。

雅弘さんがいま願うことは…。

◆佐々木雅弘さん
「折り鶴はね、平和を導くためのツールです。だからこの道具を本当に真剣にみんなが平和になりたいという心とともに世界中に広めてほしい。これだけです、望むのは」

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